古文書解読コンテストとは
日本全国には古文書が億単位あると言われています。
それに比べ、崩し文字を読める専門家の数は少なく、なかなか解読作業は進んでいきません。
古文書の多くは個人宅の蔵に長年にわたって山積みになって放置されており、家の建て替えや売買などのタイミングで、全く読まれないままゴミとして処分されてしまうことも珍しくありません。
そういった現状をどうにかしたいと思い、我々はオンライン翻刻プラットフォーム「みんなで翻刻」と協力して、古文書解読コンテストを開催することにしました。
これにより、全国の皆様にお手伝いいただき、古文書の解読を推し進めると同時に、古文書の現状を広く知ってもらう。そして資料を提供してくれた地方のPRに貢献する。そういった良い流れの渦を作ることができればと思っています。
今回、解読していただく資料は、長野県伊那市の古文書です。
個人でもチームでも参加可能で、貢献度の高かった上位の方々には総額20万円の謝礼金をご用意しております。
全国の翻刻愛好家同士のバトルを是非お楽しみください。
皆様の参加をお待ちしております!
2024年9月19日 古文書解読コンテスト事務局
コンテスト詳細
日程
コンテスト期間:2024年10月5日 14:00 〜 2025年1月31日(土) 23:59
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2025年2⽉中旬:上位者を発表。
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2025年3⽉8⽇:表彰式(伊那市内)
賞金
総額20万円(1位 10万円、2位 5万円、3位 3万円、4位 2万円)
ルール
参加条件:
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18歳以上の、古文書に興味をお持ちの方。
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「みんなで翻刻」のアカウントを作成できる方(アカウント作成・利用は無料)
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個人でもチームでも参加可能。1アカウント=1参加と数えます。
コンテスト対象資料:
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コンテストの対象となるのは、伊那市立高遠町図書館の資料です。それ以外の資料はコンテストの審査対象としてポイントが加算されませんので、ご注意ください。
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伊那市⽴⾼遠町図書館の資料は、⽉の初めに約200点ずつ4回に分けて追加する予定です。
審査について:
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コンテストの審査は、翻刻文字数、添削文字数、正確性を元に、「みんなで翻刻」、「合同会社AMANE」、「伊那市」の三者の専門家チームが協議をした上で順位付けを行います。
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審査結果の発表は、2025年2月の中旬を予定しております。
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翻刻は1文字につき1ポイントとします。
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添削は1文字につき3ポイント〜30ポイントの間で、専門家が採点します。
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AI丸写しのものや、明らかに間違いが多すぎるものに関しては、ポイントとして換算しませんのでご注意ください。
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参加者がみんなで翻刻や古文書解読コンテストの運営に何かしらの損害を与えたり、他のプレーヤーの迷惑となる行為を働いた場合には警告を行い、警告に従わない場合は、アカウント凍結の対象となります。その場合、ポイントは全て剥奪されます。
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上位入賞者に関しましては、撮影の対象となり、新聞やテレビ等で報道される場合がありますのでご了承ください。
運営について
このコンテストは、伊那市、みんなで翻刻、合同会社AMANEの三者の包括連携協定のもとに設置した「古文書解読コンテスト事務局」が運営を行います。
三者の役割は以下の通りです。
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伊那市:古文書資料の提供
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みんなで翻刻:翻刻プラットフォームの提供
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合同会社AMANE:AMANE Archivesの提供・データ公開支援
日程
2024年
10月5日:古文書解読コンテストオープニングイベント 13:00-15:30 @高遠閣
10月5日:古文書解読コンテストスタート 14:00
10月11日:古文書解読コンテストメタバース説明会 20:00-21:00 @Cluster
12月7日-8日:バーチャル学会での論文発表 @Cluster
2025年
1月31日:古文書解読コンテスト期間終了
2月中旬:上位者発表
3月8日:表彰式(伊那市内)
資料について
今回のコンテストの対象として提供される資料は、⻑野県伊那市⽴⾼遠町図書館所蔵の資料です。 4万3000点の所蔵の中から、長年高遠藩を統治していた内藤家と、その家臣、岩崎家の資料を提供していただきます。
内藤家資料は2024年10⽉と11⽉に、岩崎家資料は2024年12⽉と2025年1⽉に、段階的にみんなで翻刻内に追加していく予定です。
内藤家資料について
内藤家は、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)を祖とする徳川家譜代の⼤名家で、元禄4年(1691)に内藤清枚(ないとうきよかず)が⾼遠領三万三千⽯を拝領して以来、明治4年(1871)に⾼遠県が廃⽌されるまでの約180年間、8代にわたって⾼遠領を治めました。代々の藩主は江⼾城内では雁の間詰、江⼾城各御⾨の警衛、⽕の番、奏者番等を勤めましたが、中でも⾼遠領知以前の当主、内藤重頼(ないとうしげより)は⼤阪城代や京都所司代、若年寄等を歴任し、幕末の当主、内藤頼寧(ないとうよりやす)も天保11年(1840)に若年寄に就任するなど、幕府の要職に就いています。
岩崎家資料について
岩崎家資料は、⾼遠藩内藤家に仕えた藩⼠岩崎家が伝えてきた資料です。岩崎家は江⼾時代後期に郷代官や⼭奉⾏等の役職を務めており、勤めに関する記録が多岐にわたり遺されています。また、幕末の当主が得意とした数学や、天⽂学の資料が含まれることも特徴です。